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What's them?
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About Bryan Adamo Chan.


 ブライアンあだもちゃん とは? 

一言で言うと、" Bryan Adamsのコピーバンド "である。ブライアンあだもちゃんは、一体どのようにして誕生したのだろうか
BRYAN ADAMOCHAN'S HISTORY

 1994年、Vo「ブライアン中村」と Ba「デイヴ杉田」がひょんな事から知り合う。ブライアンねたで意気合!「ブライアン・アダムスのコピーバンドを作ろう!」こんな調子で、すぐにメンバー集めにのりだす。中村の旧友のDsとGに声をかけ、早くもバンド始動!

 しかし、Gは一回目のスタジオ練習終了後、早くも脱退。これにめげずすぐにメンバー探し。白羽の矢が当たったのはかつて中村がかつてナイト・レンジャーのコピーバンドをやった時のギタリスト「キース三瀬」であった。キース三瀬は当初すっかりパパさん家業に浸っていて、ギターも10年ものあいだ触っていなかったが(ギターを弾くのは会社の忘年会ぐらい)、この話が持ち上がった否や新たなギターを買うというやる気を見せる。

 ようやくこれからだ、という時、今度はなんとデイヴ杉田に転勤令・・・。転勤先は長野であった。これは活動停止か?と思われたが、そこは杉田!長野から東京まで、月一で練習にくることにして乗り切る。一年が過ぎたところで、今度はDrが突然行方不明になり、今度こそバンド続行不可能!

 もうこれまでか・・・と思われたが、ここで一つの転機になる事件があった。それは、1997 ブライアン・アダムス ジャパンツアーで起った。 3月 6日の武道館公演で、なんと杉田がステージにあがり、ベースを弾く、という笑えるハプニングがあったのだ。もちろん本人は、前日からステージに上がるつもりでいたらしいが・・・。

 他のメンバーも観ていた為、結果このことが起爆剤になり、やる気が復活!そくDr探し開始。すぐに中村の会社の後輩「ミッキー信田」が見つかった。彼は、なんとバンドでドラムをプレイするのは始めてというパンク・ロッカーであった。ギターを弾きながら、自ら歌っていたシンガーだったのである。

 中村の話では、なぜか信田はドラムを異常にやりたがっていたらしい・・・。もうメンバーなんてこの際選んでいられないと思ったので(ゴメン、シノちゃん!)信田で決定!!!!!それからと言うもの信田はメンバーのしごきに耐え、相当な練習に励んだ。(観た方はわかりますよね?)。

そうこうしている内に半年が過ぎた......


 ようやくBaの杉田が東京に戻ることが決定!!長い2年間であった。月一ペースの練習も順調にこなし、練習スタジオに人を招くようになった。反応もまずまず。数回お見せる頃に「ライヴやった方がいいよ!」と言う嬉しい言葉をもらうようになった。

 ライヴを薦めてくれたのは、ビートルズのコピーバンドでは日本最高峰の「リアル」のジョージ役「大ちゃん」であった。大ちゃんの紹介で、バンドは老舗のライヴハウ ス「国立リバプール」に出演することになった。初ライヴは 1998.06.07 と決定。メンバーは各自、ライヴは久しぶりの経験である。

 緊張したのは言うまでもないが、インターネットでの告知の効果もあり、お客さんの入りは上々!これに気を良くしたバンドは翌7月にもライヴを決定。

・・・それからの活動は、ご存知の方もいますよね?

これからも「ブライアン・アダモちゃん」をよろしくおねがいします。皆さん、どうかライヴに足を運んで下さい。ライヴハウスでお会いしましょう!
             
WebMasterより
 杉田さんから頂いた原稿を元に、上記の文章を作成しました。多少加筆、編集してあります。